わたくしども松音寺は、伊達藩主の菩提寺として室町時代後期に福島県伊達市に建立されました。
その後16代伊達政宗公の仙台開府により連坊の地に移転してまいりました。
仙台藩内の宗教行政を司る僧録司の役をうけ、曹洞伊達四大寺の一つとして格式と寺領を遇せられました。
しかし明治維新により伊達家の庇護を失い、御檀家の護持により曹洞の宗風を伝えております。
折々の寺での行事や、皆様にお伝えすべきと住職が考えることはfacebookに掲示しておりますので是非ご参照ください。
山 号 | 『五峰山』 常恒會格寺 寺領百四十石 仙台藩寺院格式にて御杯返上格のち一門格 (御杯返上格は御一門格十七ケ寺院に次ぐ十五ケ寺院) |
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山 容 | 『北山輪王寺 荒町昌傳庵 南鍛冶町泰心院』とともに城下曹洞四大寺の一つとして、領内曹洞宗僧録司を拝命。 末寺三十一ヶ寺院 (藩政時代三十六ヶ寺院) |
寺 歴 | 福島県伊達市桑折町に寛正年間(西紀一四六〇~一四六五)に創建され、丸森町を経て仙台開府により連坊(現仙台市立連坊小路小学校用地)に移転。 明治三年九月二十三日、城下移転以来四度目の出火により焼失し、明治二十一年十二月に松音寺末寺の長泉寺を合併し現在地に移転。 |
本 尊 | 釈迦如来坐像(江戸中期の作と伝わる) |
山 門 | 仙台藩主忠宗候より拝領の旧若林城門(切妻造医薬門) |
本 堂 | 旧長泉寺の本堂で弘化四年(西紀一八四七)竣工した部分を礎として修理修繕を繰り返し現在に至る。 |
鎮 守 | 平成二十八年、境内地南西角地に『連坊鎮護須賀神社(本地牛頭天王・垂迹素戔嗚尊)』を鎮守として勧請。 |
招 来 | 平成二十三年、チベット仏教活佛アジャ・リンポチェ猊下の持佛である『多羅菩薩坐像(緑ターラ)』を同年の東日本大震災殉難者慰霊の為に招来、本堂に奉安。 |
○松音寺小史(抄)三原良吉
『伊達正統世次考』では十三世尚宗公が父君十二世成宗公の逝去(長享元年西紀一四八七)にあたり此れを伊達郡松箇倉(現福島県伊達市桑折町小坂松ケ倉)に葬り、冥福の為に寺を建立し五峰山松音寺としたとある。
伊達家『封内風土記』によれば、松音寺は越後村上耕雲寺の四世瑚海中珊大和尚の開山で同所に寛正年間(西紀一四六〇~一四六五)に創建されたと記載がある。この説によれば寛正年間の伊達家の当主十一世持宗公が松音寺開基となる。
尚宗公は永正十一年に卒したが『輪王寺記録』によれば十四世稙宗公が父君尚宗公供養の為に西山城北(松箇倉)に松音寺を建てたとあるが、これは再興を示すと考察できる。
十四世稙宗公は分国法『塵芥集』で有名だが、晩年には「天文の乱」で破れ、十五世晴宗公に丸森城に隠居を沙汰される。松音寺は稙宗公の帰依を受けていたため、晴宗公以降の伊達家の轉封につき従わず、丸森の地に法燈を護持していたが、仙台開府により仙台藩祖政宗公の依頼を得て連坊に移転した。
江戸幕府による寺院本末制度の確立は、宗教統制の一環として行なわれ、仙台藩も此れに順じ、松音寺は本寺を輪王寺末の河南町統禪寺とし、開山を統禪四世的全誾乍大和尚とした。
連坊移転後の中興開基である宗綱公は仙台藩祖政宗公の五男で、栗原岩ケ崎城城主であったが元和四年に十六歳で卒した。
かつては陸奥国分寺に縁を持ち塔頭諸堂の一角として、連坊小路と東街道の交差点付近に祀られておりましたが、区画整理により社域社殿が失われ、武者綿さんの一角においでになりました。縁あって松音寺が招来して社域をお貸しし、御檀家の浄財を以て社殿・社務所・手水舎を建立しました。
須賀神社は京都八坂神社と御祭神を同じくし、素戔嗚尊と櫛稲田媛の本地として牛頭天王と頗梨采女が祀られています。牛頭天王には蘇民将来の伝説があります。このため八坂神社の祇園祭は悪疫退散の祈願となっており、また須賀神社もキュウリ神さまとして地域の疫病を払ってきました。
今般の武漢肺炎(コロナ肺炎)の鎮静を願って、手水舎の脇にアマビエさまの石碑を建立しました。神仏に妖怪さんも力を合わせ地域の安寧に御尽力頂いて居ります。御朱印をお出ししています。
毎年三月十一日震災殉難者供養の為、殉難なされた方々の御位牌を奉安し、アジャ・リンポチェ猊下より招来した多羅菩薩様を御開帳申し上げております。
アジャ・リンポチェ猊下は、チベット仏教ゲルク派の転生活仏のひとりです。チベット・アムド(中国青海省)クンブム「塔爾寺(タール寺)」の僧院の僧院長で、共産党侵攻後の宗教弾圧、文化大革命など、歴史の荒波に翻弄されながらもチベット仏教の灯を守りつづけ、中国国内に残ってモンゴル文化、チベット文化の再興に尽力しましたが、パンチェンラマ十一世認定問題の渦中で難しい立場に立たされ、一九九八年に亡命なさいました。猊下は、タール寺以来、米国への亡命においても護持なさっていた大切な御持佛を、松音寺に御安置なさいました。これは東日本大震災殉難者の供養と、復興に向けて『多羅菩薩』様が御加護を被災地、そして我国に対して賜らんことを念じての事です。猊下が松音寺に御預けくださいました、『緑の多羅菩薩』様は、観音様の慈悲を現じておいでになる存在です。觀音様はこの世の苦しみを減らすことが出来ないことを悲しみ、涙をこぼされました。
その涙がこぼれ落ちた場所には蓮の花が咲き、右目の涙からは「静」の、『白の多羅菩薩』様、左目の涙からは「動」の、『緑の多羅菩薩』様がお生まれになりました。
機敏に移動できる力が宿っているという『緑色の多羅菩薩』様は、急な助けが必要な人の為に、何時でも素早く救済に向えるよう、右足を前に出して見守られています。 観音様は、チベットの守り本尊とされダライ・ラマはその化身だと信じられています。
観音様をお助けするターラ菩薩は、チベット佛教においても、広く信仰を集めています。
御真言は『唵 達列 都達列 都列 娑婆訶』(オン タレ トゥタレ トゥレ ソーハー)
通常は本堂に奉安されていますので、参拝希望の方は事前にお申し込みください。御朱印をお出ししています。
連坊須賀神社御朱印
仙台三十三観音御朱印
多羅菩薩御朱印
御朱印の受付時間について
平日8:30〜16:00
仙台市若林区新寺4丁目6-28
[最寄り駅]仙台市営地下鉄東西線 連坊駅下車徒歩約5分