松音寺

寺院のみどころ

(左)伊達政宗隠居所の若林城の大手門を拝領したと伝わっております。仙台市登録文化財。(右)弘化5年(西紀1854 ペリー来航の年)建立。 松音寺の末寺長泉寺の本堂でしたが明治二年の松音寺消失により、長泉寺は松音寺に接収されました。松音寺の東側の市道はその名残で長泉寺横丁と言われております。

境内の四季

境内案内

建物

①連坊鎮護須賀神社①連坊鎮護須賀神社

②檀家合葬墓②檀家合葬墓

③家門代々墓③家門代々墓

④慈明林墓④慈明林墓

⑤山門⑤山門

⑥本堂⑥本堂

⑦鐘楼門

⑦鐘楼門
先の大戦(大東亜戦争)末期に梵鐘を供出した寺院が多い中で、幸いにして残った伊達騒動の落着を祝って鋳造された梵鐘が今も撞かれています。

⑧如意輪觀音堂

⑧如意輪觀音堂
仙台三十三観音めぐりの二十三番札所となっております。本来は隣寺であった浄土宗遍照寺が管理した札所でしたが明治維新で遍照寺が廃寺となったため松音寺が札所を引き継ぎました。御朱印をお出ししております。

⑨圓月堂

⑨圓月堂
江戸時代中期の作と伝えられる三十三体観音菩薩が祀られています。法華経にある観音菩薩の化身に合わせて聖観音、白衣観音、馬頭観音、馬郎婦観音など。通常は非公開ですが、盆や彼岸あるいは桜の時期に開帳されます。

⑩安保原地蔵堂

⑩安保原地蔵堂
大正4年白石市の素封家大野重蔵氏によって寄進された阿保原地蔵尊が奉安されます。本来は福島市長樂寺福井県永平寺、神奈川県総持寺、白石市天桂院、朝鮮平壌市にも安置されましたが、先に大戦のおり供出などのため、長樂寺、永平寺、松音寺以外の地蔵尊は失われました。寄進者の大野重蔵氏は「此の地蔵尊が火の中にお入りになるときは日本に禍が起きるときである。」と残されたそうです。もともとは蜂のとまった柄杓をお持ちになり勤勉を勧め、赤子を抱いて女人泰産などを祈願しておられましたが、柄杓は失われてしまいました。

中庭中庭

中庭中庭

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